もうすぐ夏が始まろうとしていた。
そうなるずっと前から心を埋め尽くしていたのはたった一人の人だった。
新庄慶新庄慶新庄慶新庄慶
赤星は幾度も繰り返しその名前を呼んだ。
けれど声という媒介を用いていたのかというとそうではなかった。
彼は声さえ出さずに、ただ心の中で叫ぶようにしてその名前の響きをなぞった。
家にいる時、授業中、部活中、場所と時間が移り変わっても同じことをバカの一つ覚えみたいに繰り返した。
それは日課になり、習慣になった。
世界の全てに見切りをつけているかのようなその目の奥にそれほどまでの情熱を秘めていた。
秘めているだけあって誰一人として気づく者はいなかった。
肝心の新庄慶でさえ。
「新庄、どっか寄ってかねえ?」
「どっかってどこ?」
そのお決まりの遣り取りはやはり部室で執り行われていた。
必ずと言っていいほど岡田は新庄のことを誘う。
まるで何でもないように、春の終りが夏の匂いを運んでくるのと同じように。
目には見えない当然さを確かに感じた。
「どこっつったってデニーズかモスくらいしかねーよ」
「モスなら行くかな」
「そんじゃ決まり」
「金あるっけな」
赤星もまたいつものように何食わぬ顔をして聞き耳を立てた。
誰とどこに行き何をするのか、それを把握しておきたかったのかもしれない。
単に声を聞きたかっただけなのかもしれない。
どっちなのかは自分でもよく分からなかった。
「おめーらどっか行くの?」
「マジー?俺もー」
一人、また一人と参加者が増えていく。
それもまたいつもの光景だった。
赤星にあと幾何かの社交性があれば同じことをしていただろう。
けれど、あの輪の中に入るなんてとんでもなかった。
想像しただけで疲れる。ぞっとする。
赤星はただ新庄を見ているだけに過ぎなかった。
金色の髪、耳の形、首から肩にかけてのライン、汗ばんだ背中、トランクスからすらりと伸びる長い足。
誰にもバレないように穴が開くぐらい熱心に見つめた。
今日は黒いトランクスだ。
どこかの誰かのようにローテーションを調査しながら。
彼はまさに変態だった。
だけど仕方がないじゃないか。
どうしても見てしまうのだから。
気がつけば新庄ばかりを目で追ってしまうのだから。
「おい新庄、こないだの平塚のアホの暴投のアザは?」
突然また赤星の視界に登場人物が無断で増えてしまった。
それはことある毎に新庄にまとわりつく安仁屋だった。
まとわりつく、という表現はあくまでも赤星の個人的見解によるものだ。
運動部に所属していればアザの一つや二つ少しも珍しいことなんかじゃなかった。
「あ、てめえ」
「薄くなってるわ。治りが早えーな」
赤星は思わず目を瞬いた。
安仁屋が新庄のトランクスを引っ張ってその中を覗き込むという荒業をやってのけた。
顔を真っ赤にした新庄は長髪をパシンと叩く。
「バッカ、心配してやってんだろ!」
「うるせーてめえ、いい迷惑だ」
安仁屋は唇を突き出して不満げな顔を露にしたが、赤星にしてみればあんなもので足りるわけがなかった。
もう二度と同じ真似が出来ないようにもっと徹底的な罰を与えるべきだ。
しかし赤星が期待していたことは何も起こらなかった。
いかにも平和そうな雰囲気があっけなく蘇る。
新庄はいつも簡単に仲間を殴ったり罵ったりする。
それは新庄慶の中にある信念がそうさせる。
例えば試合でみんなが諦めた時とか。
殴り罵り、それでもまた、許し許される。
新庄の心に触れれば誰だって愛してしまうに違いない。
だから何をされても驚くほど簡単に誰もが新庄を許してしまうのだ。
それは新庄慶の人徳で、美徳だ。
赤星だってそういう人間の一人だった。
それにしてもあんなのは立派なセクハラだ。
ああいう場面を目にするたび呪ってやりたくなった。
呪い方を知らないだけで、知っていたら絶対に呪って地獄に突き落としてやった。
首根っこをつかんで警察にでも突き出すべきじゃないか。
近い将来自分の恋人になるはずの新庄のトランクスの中を何の断りもなく覗かれるなんてこと許せるわけがない。
そう、近い将来新庄は自分のものになる、と赤星は勝手に思い込んでいた。
驚くべきことだが赤星はモテていた。
今まで関係を持った女性は数知れず。
百戦錬磨と言っても過言ではなかった。
彼は自分に絶対不変の自信を持っていた。
だから、新庄だって近いうちに自分に惚れるだろうと思っていたのだ。
だけど出会って数ヶ月新庄からのアクションはこれといってまだ何もない。
照れてるに違いない。
謙遜してるに違いない。
待っているに違いない。
あり得ないほど鈍感で、まだ自分の気持ちに気づいていないだけに違いない。
赤星は色んな推測を立てた。
そうやって事実を曲げては創り変えた。
自分では何も出来ないまま、ただ心の中で名前を呼び、今ある現実が壊れないようにそっと情熱を費やして守った。
新庄にさえ気づかれることもなくただそっと。
言葉が声にならない。
名前も呼べない。
声になったとしてもその先を恐れた。
「呼んだか?赤星」
ふいに降ってきたその声の音色は赤星の意識を満たすのには十分だった。
「・・・呼んでませんよ」
「そーか?目ぇ合ってたから呼ばれたのかと思った」
新庄は何事もなかったかのようにまた例の平和そうな雰囲気の中へと戻って行った。
赤星には新庄の視線を引き止める方法なんて何一つなかった。
まるでテレパシーの実在を願うかのように声にもならない声で名前を呼び続けることしか出来なかった。
そうなるずっと前から心を埋め尽くしていたのはたった一人の人だった。
新庄慶新庄慶新庄慶新庄慶
赤星は幾度も繰り返しその名前を呼んだ。
けれど声という媒介を用いていたのかというとそうではなかった。
彼は声さえ出さずに、ただ心の中で叫ぶようにしてその名前の響きをなぞった。
家にいる時、授業中、部活中、場所と時間が移り変わっても同じことをバカの一つ覚えみたいに繰り返した。
それは日課になり、習慣になった。
世界の全てに見切りをつけているかのようなその目の奥にそれほどまでの情熱を秘めていた。
秘めているだけあって誰一人として気づく者はいなかった。
肝心の新庄慶でさえ。
「新庄、どっか寄ってかねえ?」
「どっかってどこ?」
そのお決まりの遣り取りはやはり部室で執り行われていた。
必ずと言っていいほど岡田は新庄のことを誘う。
まるで何でもないように、春の終りが夏の匂いを運んでくるのと同じように。
目には見えない当然さを確かに感じた。
「どこっつったってデニーズかモスくらいしかねーよ」
「モスなら行くかな」
「そんじゃ決まり」
「金あるっけな」
赤星もまたいつものように何食わぬ顔をして聞き耳を立てた。
誰とどこに行き何をするのか、それを把握しておきたかったのかもしれない。
単に声を聞きたかっただけなのかもしれない。
どっちなのかは自分でもよく分からなかった。
「おめーらどっか行くの?」
「マジー?俺もー」
一人、また一人と参加者が増えていく。
それもまたいつもの光景だった。
赤星にあと幾何かの社交性があれば同じことをしていただろう。
けれど、あの輪の中に入るなんてとんでもなかった。
想像しただけで疲れる。ぞっとする。
赤星はただ新庄を見ているだけに過ぎなかった。
金色の髪、耳の形、首から肩にかけてのライン、汗ばんだ背中、トランクスからすらりと伸びる長い足。
誰にもバレないように穴が開くぐらい熱心に見つめた。
今日は黒いトランクスだ。
どこかの誰かのようにローテーションを調査しながら。
彼はまさに変態だった。
だけど仕方がないじゃないか。
どうしても見てしまうのだから。
気がつけば新庄ばかりを目で追ってしまうのだから。
「おい新庄、こないだの平塚のアホの暴投のアザは?」
突然また赤星の視界に登場人物が無断で増えてしまった。
それはことある毎に新庄にまとわりつく安仁屋だった。
まとわりつく、という表現はあくまでも赤星の個人的見解によるものだ。
運動部に所属していればアザの一つや二つ少しも珍しいことなんかじゃなかった。
「あ、てめえ」
「薄くなってるわ。治りが早えーな」
赤星は思わず目を瞬いた。
安仁屋が新庄のトランクスを引っ張ってその中を覗き込むという荒業をやってのけた。
顔を真っ赤にした新庄は長髪をパシンと叩く。
「バッカ、心配してやってんだろ!」
「うるせーてめえ、いい迷惑だ」
安仁屋は唇を突き出して不満げな顔を露にしたが、赤星にしてみればあんなもので足りるわけがなかった。
もう二度と同じ真似が出来ないようにもっと徹底的な罰を与えるべきだ。
しかし赤星が期待していたことは何も起こらなかった。
いかにも平和そうな雰囲気があっけなく蘇る。
新庄はいつも簡単に仲間を殴ったり罵ったりする。
それは新庄慶の中にある信念がそうさせる。
例えば試合でみんなが諦めた時とか。
殴り罵り、それでもまた、許し許される。
新庄の心に触れれば誰だって愛してしまうに違いない。
だから何をされても驚くほど簡単に誰もが新庄を許してしまうのだ。
それは新庄慶の人徳で、美徳だ。
赤星だってそういう人間の一人だった。
それにしてもあんなのは立派なセクハラだ。
ああいう場面を目にするたび呪ってやりたくなった。
呪い方を知らないだけで、知っていたら絶対に呪って地獄に突き落としてやった。
首根っこをつかんで警察にでも突き出すべきじゃないか。
近い将来自分の恋人になるはずの新庄のトランクスの中を何の断りもなく覗かれるなんてこと許せるわけがない。
そう、近い将来新庄は自分のものになる、と赤星は勝手に思い込んでいた。
驚くべきことだが赤星はモテていた。
今まで関係を持った女性は数知れず。
百戦錬磨と言っても過言ではなかった。
彼は自分に絶対不変の自信を持っていた。
だから、新庄だって近いうちに自分に惚れるだろうと思っていたのだ。
だけど出会って数ヶ月新庄からのアクションはこれといってまだ何もない。
照れてるに違いない。
謙遜してるに違いない。
待っているに違いない。
あり得ないほど鈍感で、まだ自分の気持ちに気づいていないだけに違いない。
赤星は色んな推測を立てた。
そうやって事実を曲げては創り変えた。
自分では何も出来ないまま、ただ心の中で名前を呼び、今ある現実が壊れないようにそっと情熱を費やして守った。
新庄にさえ気づかれることもなくただそっと。
言葉が声にならない。
名前も呼べない。
声になったとしてもその先を恐れた。
「呼んだか?赤星」
ふいに降ってきたその声の音色は赤星の意識を満たすのには十分だった。
「・・・呼んでませんよ」
「そーか?目ぇ合ってたから呼ばれたのかと思った」
新庄は何事もなかったかのようにまた例の平和そうな雰囲気の中へと戻って行った。
赤星には新庄の視線を引き止める方法なんて何一つなかった。
まるでテレパシーの実在を願うかのように声にもならない声で名前を呼び続けることしか出来なかった。
君が何気なく僕を呼ぶ声の音色は全ての意識を簡単に奪っていく