赤星は地上からそれを見上げた。
終りの見えない空と自分との間に立ついきいきとしたシルエットから目が離せなかった。
電車に乗って数時間、ニコガク野球部の一行は山へとやって来た。
山と言っても山登りをしに来たわけじゃない。
お目当てはここいらでも一、二を争う透明度を誇る川だった。
「新庄ー!!」
誰かが叫んだ。
けれど赤星の耳には届かなかった。
彼は崖の上から地上を見下ろす新庄の姿だけを恍惚として見つめていた。
太陽を背にし、空を掲げ、まるでこの世のものとは思えないほど美しかった。
赤星の心は完全に奪われていた。
「天使みたい・・・」
誰かが言った。
今度は赤星の耳にも届いた。
赤星はゆっくりと振り返る。
声の主はうっとりと目を細め、先ほどの赤星と同じように顔を上げているマネージャーだった。
自分が呟いたことにさえ気づいていないのか、天使と称した少年をその目に映し続ける。
その一挙一動を見逃すまいと瞬きさえ惜しむように。
赤星はいつもの顔を崩さなかったが、本当は快く思っていなかった。
「あの高さから飛べんのか!?」
「湯舟にゃまず無理だろうな」
「つうかてめーだって残ってんじゃねーかよ!」
「う、うるせー!それを言うな!」
「若菜と安仁屋と岡田と新庄。あんなとっから飛び込むとかあいつら頭おかしいんじゃねーのか?」
部員たちは好き放題言った。
しかし赤星とマネージャーだけはまるで別次元の世界に立っているかのように沈黙を貫いた。
自分の中から確かに声が消えていくのを感じていた。
「・・・飛べるかな?」
「飛べるわけねーよ」
「いくらなんでもあの高さじゃな・・・」
飛べるか飛べないか、その議論に全く価値を見出せなかった。
今最も重要視すべきことはあの美しさでしかなかった。
太陽を従えている少年の美しさでしかなかった。
マネージャーと部員という繋がりだけで成り立っている二人は奇しくも同じものを見て同じ感覚を見出した。
強烈なまでの暑さに新庄の素肌から吹き出す汗が太陽の光を反射して輝く。
その姿は今が夏であることを二つの意識に思い出せた。
たった二ヶ月という短い期間でニコガク野球部にとってなくてはならない存在になった。
新庄慶の努力と情熱、それはじりじりと人々を焦がし空の下へと導く真夏の太陽そのものだった。
寒くても暑くてもただ自分のやるべきことを成し遂げて来ただけの赤星に初めて夏を意識させた。
それは新庄を見つめ続けた自分だけに許された特権だったはず。
しかし、天使みたい、そう呟いたマネージャーの声は何もかも全てに気づいているようだった。
夏が何であるのかということに、本当の夏に。
ひどく不愉快だった。
自分だけが分かり、自分だけが理解し、自分だけが愛していたかった。
赤星は新庄慶の存在をそこまで大切に慎重に繊細に思っていた。
誰にでも他人には決して知られたくない宝物がある。
果たして天使とその他三名がこの夏の空気の中を舞ったのかどうか。
その結果は物事のほんの一面からすれば明らかにするまでもないことだ。
「何してんの?」
部員たちを残し、岡田と新庄が森の中へ入っていくのを目撃した赤星はこっそりと後をつけた。
ハーフパンツとビーチサンダルだけを身にまとう新庄の全身は他の者たち同様にずぶ濡れだった。
それが汗なのか、あるいは水なのかは分からない。
学校にいる時とは全く違うその姿を眺めながら足音を忍ばせて歩いた。
しばらく経ったところで岡田と新庄が二手に分かれた。
そして赤星が声を掛けたという経緯だった。
しかしまさかつけられているとは思っていなかった新庄を驚かせることになってしまったようだった。
「びっ・・・くりさせんじゃねえよっ!」
肩をはね上げた新庄が振り返り、すさまじい勢いで睨みつけてくる。
そんな顔をさせるつもりはなかったのに。
もっと慎重に機会をうかがうべきだったのだと赤星は小さく小さく後悔した。
こんな小さな失敗をもう何度も繰り返した。
二人になれるチャンスを探して、話をしたくて声を掛けて。
少しでも関心を払ってほしかった。
だからいくら社交性が欠如していたって赤星は赤星なりに必死になってやってきた。
それなのにいつも同じような失敗ばかりしてしまう。
いい加減自分のことが嫌になってくる。
「何してんのかって聞いてんですよ」
「おまえこそ何してんだ、迷うぞ」
自分の質問はどこへ行ってしまったのだろうと思った。
もう一度答えを求めるべきか、自分の言葉を忘れるべきか、どうしよう。
そんなことに頭を悩ませている赤星を放って新庄が辺りをうろつき出した。
結局赤星は忘れる方を選んだ。
忘れるふりをする方と言った方が正しいのかもしれなかった。
「ちょっと、あんたこそあんまし遠く行くと迷いますよ」
「その辺に岡田がいるから迷わねえよ」
何の不安もなさそうに断言した。
まるで岡田さえいれば全てが上手くいくとでも思っているようだった。
さっきだって岡田が行くなら俺も行く、というわけの分からない理屈で崖の上まで上って行った。
誰といようと迷う時は迷うに決まってるのに。
それでも、新庄にそこまで無条件で信頼されることが羨ましかった。
自分の知らない月日を感じた。
赤星がどんなにほしがっても、もう手に入らない過去だった。
一年前の新庄慶なんて想像もつかなかった。
その間に培われた信頼、友情、入り込めない関係。
「どこまで行くんスか」
「おまえカブトムシ探すの得意か?」
「・・・はあ?」
どうして質問はいつも無に返されるのだろう。
会話することの難しさに赤星は気づきそうだった。
質問なんて必要以上にしたことがなかったし、例え無視されたとしても赤星の記憶に刻まれることはなかった。
赤星が答えないことに痺れを切らした新庄がまた口を開いた。
「カブトだカブト。・・・まさか知らねーなんてことねーだろうな?」
「・・・知ってるに決まってるっしょ」
「だよな」
カブトムシを知らない人間なんてこの世にいるんだろうかと何となく思った。
しかし赤星はもう何年も何年も実物を目にしたことがない。
「カブトムシ探してんスか?」
「そう。それかクワガタとか」
金髪から流れ落ちて来る水滴を嫌ってか新庄が一度髪をかき上げた。
新庄に出会うことがなければ、ただ暑いという言葉だけでこの季節をやり過ごすことが出来ただろう。
けれど新庄慶は夏の要素一つ一つを必要以上に輝かせて見せた。
葉の隙間から零れ落ちてくる光や、それを丁寧に反射している素肌の上の水滴。
暑いと評するだけでは済ませられないところまでやって来てしまった。
後戻りなんて出来るわけがないことぐらい分かってた。
「マネージャーさんに近づいちゃダメですよ」
「・・・ああ?」
カブトムシを探すことに夢中になっていた新庄は眉を寄せて赤星を見やった。
自分の発言がすっかりずれていることを赤星は悟らずにはいられなかった。
「何だそれ」
「ぜってーあんたのこと狙ってやがるから」
「意味不明」
新庄はそうとだけ返すとまたきょろきょろとカブトムシ捜索へと戻って行った。
「気づかねーんスか」
「バカなこと言ってる暇あんだったら探すの手伝えよ」
「カブトムシなんか探してる場合かよ」
「探してる場合なんだよな、岡田とどっちが先に見つけっか勝負してるから」
また新庄がその名前を口にした。
赤星はそうされる度に自分という人間が消えていきそうで不安だった。
「あいつもあんたのこと狙ってんじゃねえの」
「おまえ妄想癖でもあんのか?」
新庄はこれっぽっちもまともに請合ってくれなかった。
けれど赤星は真剣だった。
彼は世界中の人々が新庄慶を愛しているのだと、まさしくそんな妄想に日々さいなまれて過ごしていたのだった。
客観的に表現すれば妄想というものになってしまうのだが赤星にすればそれが確かな事実だった。
だからいつも勝手にはらはらしている。
新庄は相手にしてくれない。
相手からすればただの妄想に過ぎないのだから仕方もなかった。
でもマネージャーの件については全く話が別だった。
どう言えば分かってくれるんだろう。
本人がちゃんちゃら気にも留めていないことを赤星は必死になって考えていた。
「なかなか見つかんねーもんだな・・・」
新庄は木々が多い茂る空間を活発に動き回った。
赤星はその後に続いてタイミングを見計らっていた。
また驚かれてしまったり顔をしかめられてしまったりしないでいいように。
何かきっかけはないだろうかとあちこちに目をやった。
すると足元に一匹の蝉を見つけた。
しばらくそれを眺めていたが、ぴくりとも動かなかった。
「蝉じゃダメなんスか」
「ダメだな」
「何で?」
「蝉なんかどこにでもいる」
新庄は微動だにしない蝉を見下ろしてそう言い放った。
蝉はひと夏の命だという。
何年もの間地中でひっそりと過ごし、そしてやっと飛べたという矢先にその命は燃え尽きてしまうのだ。
その儚い命は新庄にとって取るに足らないものだった。
赤星は少しだけ蝉を可哀相だと思った。
少しかがんで捕まえようとした。
「触んな」
赤星を制したのは新庄だった。
ただでさえ体は熱い。
新庄につかまれた腕の熱に頭がどうにかなりそうだった。
それでも拒むことは出来なかった、むしろ感じていたかった。
この瞬間、その熱だけが赤星の世界だった。
「好きだ」
赤星の声がじっとりとした空気の中に放たれたのとほぼ同時に、蝉がじじじと音を立てながら羽ばたいた。
「あ、」
思わず目で追った。
まだ死んじゃいなかったんだ。
新庄はそれを知っていたのかもしれない。
そういう不思議な力を持っているんじゃないかと思った。
金髪の少年は夏の太陽さえ霞んでしまうほどにきらきらとしていたから。
触れ合っていた部分が離された。
さっきの声はちゃんと届いたのだろうか、それともまた無に返されてしまったのだろうか。
また言うべきなのだろうか。
今日だけで一体何度同じようなことに頭を悩ませただろう。
だけどきっと伝えなきゃいけない。
もう後戻りなんて出来ないことは分かりきっているんだから。
新庄慶に出会ってしまったのだから。
本当の夏を知ってしまったのだから。
終りの見えない空と自分との間に立ついきいきとしたシルエットから目が離せなかった。
電車に乗って数時間、ニコガク野球部の一行は山へとやって来た。
山と言っても山登りをしに来たわけじゃない。
お目当てはここいらでも一、二を争う透明度を誇る川だった。
「新庄ー!!」
誰かが叫んだ。
けれど赤星の耳には届かなかった。
彼は崖の上から地上を見下ろす新庄の姿だけを恍惚として見つめていた。
太陽を背にし、空を掲げ、まるでこの世のものとは思えないほど美しかった。
赤星の心は完全に奪われていた。
「天使みたい・・・」
誰かが言った。
今度は赤星の耳にも届いた。
赤星はゆっくりと振り返る。
声の主はうっとりと目を細め、先ほどの赤星と同じように顔を上げているマネージャーだった。
自分が呟いたことにさえ気づいていないのか、天使と称した少年をその目に映し続ける。
その一挙一動を見逃すまいと瞬きさえ惜しむように。
赤星はいつもの顔を崩さなかったが、本当は快く思っていなかった。
「あの高さから飛べんのか!?」
「湯舟にゃまず無理だろうな」
「つうかてめーだって残ってんじゃねーかよ!」
「う、うるせー!それを言うな!」
「若菜と安仁屋と岡田と新庄。あんなとっから飛び込むとかあいつら頭おかしいんじゃねーのか?」
部員たちは好き放題言った。
しかし赤星とマネージャーだけはまるで別次元の世界に立っているかのように沈黙を貫いた。
自分の中から確かに声が消えていくのを感じていた。
「・・・飛べるかな?」
「飛べるわけねーよ」
「いくらなんでもあの高さじゃな・・・」
飛べるか飛べないか、その議論に全く価値を見出せなかった。
今最も重要視すべきことはあの美しさでしかなかった。
太陽を従えている少年の美しさでしかなかった。
マネージャーと部員という繋がりだけで成り立っている二人は奇しくも同じものを見て同じ感覚を見出した。
強烈なまでの暑さに新庄の素肌から吹き出す汗が太陽の光を反射して輝く。
その姿は今が夏であることを二つの意識に思い出せた。
たった二ヶ月という短い期間でニコガク野球部にとってなくてはならない存在になった。
新庄慶の努力と情熱、それはじりじりと人々を焦がし空の下へと導く真夏の太陽そのものだった。
寒くても暑くてもただ自分のやるべきことを成し遂げて来ただけの赤星に初めて夏を意識させた。
それは新庄を見つめ続けた自分だけに許された特権だったはず。
しかし、天使みたい、そう呟いたマネージャーの声は何もかも全てに気づいているようだった。
夏が何であるのかということに、本当の夏に。
ひどく不愉快だった。
自分だけが分かり、自分だけが理解し、自分だけが愛していたかった。
赤星は新庄慶の存在をそこまで大切に慎重に繊細に思っていた。
誰にでも他人には決して知られたくない宝物がある。
果たして天使とその他三名がこの夏の空気の中を舞ったのかどうか。
その結果は物事のほんの一面からすれば明らかにするまでもないことだ。
「何してんの?」
部員たちを残し、岡田と新庄が森の中へ入っていくのを目撃した赤星はこっそりと後をつけた。
ハーフパンツとビーチサンダルだけを身にまとう新庄の全身は他の者たち同様にずぶ濡れだった。
それが汗なのか、あるいは水なのかは分からない。
学校にいる時とは全く違うその姿を眺めながら足音を忍ばせて歩いた。
しばらく経ったところで岡田と新庄が二手に分かれた。
そして赤星が声を掛けたという経緯だった。
しかしまさかつけられているとは思っていなかった新庄を驚かせることになってしまったようだった。
「びっ・・・くりさせんじゃねえよっ!」
肩をはね上げた新庄が振り返り、すさまじい勢いで睨みつけてくる。
そんな顔をさせるつもりはなかったのに。
もっと慎重に機会をうかがうべきだったのだと赤星は小さく小さく後悔した。
こんな小さな失敗をもう何度も繰り返した。
二人になれるチャンスを探して、話をしたくて声を掛けて。
少しでも関心を払ってほしかった。
だからいくら社交性が欠如していたって赤星は赤星なりに必死になってやってきた。
それなのにいつも同じような失敗ばかりしてしまう。
いい加減自分のことが嫌になってくる。
「何してんのかって聞いてんですよ」
「おまえこそ何してんだ、迷うぞ」
自分の質問はどこへ行ってしまったのだろうと思った。
もう一度答えを求めるべきか、自分の言葉を忘れるべきか、どうしよう。
そんなことに頭を悩ませている赤星を放って新庄が辺りをうろつき出した。
結局赤星は忘れる方を選んだ。
忘れるふりをする方と言った方が正しいのかもしれなかった。
「ちょっと、あんたこそあんまし遠く行くと迷いますよ」
「その辺に岡田がいるから迷わねえよ」
何の不安もなさそうに断言した。
まるで岡田さえいれば全てが上手くいくとでも思っているようだった。
さっきだって岡田が行くなら俺も行く、というわけの分からない理屈で崖の上まで上って行った。
誰といようと迷う時は迷うに決まってるのに。
それでも、新庄にそこまで無条件で信頼されることが羨ましかった。
自分の知らない月日を感じた。
赤星がどんなにほしがっても、もう手に入らない過去だった。
一年前の新庄慶なんて想像もつかなかった。
その間に培われた信頼、友情、入り込めない関係。
「どこまで行くんスか」
「おまえカブトムシ探すの得意か?」
「・・・はあ?」
どうして質問はいつも無に返されるのだろう。
会話することの難しさに赤星は気づきそうだった。
質問なんて必要以上にしたことがなかったし、例え無視されたとしても赤星の記憶に刻まれることはなかった。
赤星が答えないことに痺れを切らした新庄がまた口を開いた。
「カブトだカブト。・・・まさか知らねーなんてことねーだろうな?」
「・・・知ってるに決まってるっしょ」
「だよな」
カブトムシを知らない人間なんてこの世にいるんだろうかと何となく思った。
しかし赤星はもう何年も何年も実物を目にしたことがない。
「カブトムシ探してんスか?」
「そう。それかクワガタとか」
金髪から流れ落ちて来る水滴を嫌ってか新庄が一度髪をかき上げた。
新庄に出会うことがなければ、ただ暑いという言葉だけでこの季節をやり過ごすことが出来ただろう。
けれど新庄慶は夏の要素一つ一つを必要以上に輝かせて見せた。
葉の隙間から零れ落ちてくる光や、それを丁寧に反射している素肌の上の水滴。
暑いと評するだけでは済ませられないところまでやって来てしまった。
後戻りなんて出来るわけがないことぐらい分かってた。
「マネージャーさんに近づいちゃダメですよ」
「・・・ああ?」
カブトムシを探すことに夢中になっていた新庄は眉を寄せて赤星を見やった。
自分の発言がすっかりずれていることを赤星は悟らずにはいられなかった。
「何だそれ」
「ぜってーあんたのこと狙ってやがるから」
「意味不明」
新庄はそうとだけ返すとまたきょろきょろとカブトムシ捜索へと戻って行った。
「気づかねーんスか」
「バカなこと言ってる暇あんだったら探すの手伝えよ」
「カブトムシなんか探してる場合かよ」
「探してる場合なんだよな、岡田とどっちが先に見つけっか勝負してるから」
また新庄がその名前を口にした。
赤星はそうされる度に自分という人間が消えていきそうで不安だった。
「あいつもあんたのこと狙ってんじゃねえの」
「おまえ妄想癖でもあんのか?」
新庄はこれっぽっちもまともに請合ってくれなかった。
けれど赤星は真剣だった。
彼は世界中の人々が新庄慶を愛しているのだと、まさしくそんな妄想に日々さいなまれて過ごしていたのだった。
客観的に表現すれば妄想というものになってしまうのだが赤星にすればそれが確かな事実だった。
だからいつも勝手にはらはらしている。
新庄は相手にしてくれない。
相手からすればただの妄想に過ぎないのだから仕方もなかった。
でもマネージャーの件については全く話が別だった。
どう言えば分かってくれるんだろう。
本人がちゃんちゃら気にも留めていないことを赤星は必死になって考えていた。
「なかなか見つかんねーもんだな・・・」
新庄は木々が多い茂る空間を活発に動き回った。
赤星はその後に続いてタイミングを見計らっていた。
また驚かれてしまったり顔をしかめられてしまったりしないでいいように。
何かきっかけはないだろうかとあちこちに目をやった。
すると足元に一匹の蝉を見つけた。
しばらくそれを眺めていたが、ぴくりとも動かなかった。
「蝉じゃダメなんスか」
「ダメだな」
「何で?」
「蝉なんかどこにでもいる」
新庄は微動だにしない蝉を見下ろしてそう言い放った。
蝉はひと夏の命だという。
何年もの間地中でひっそりと過ごし、そしてやっと飛べたという矢先にその命は燃え尽きてしまうのだ。
その儚い命は新庄にとって取るに足らないものだった。
赤星は少しだけ蝉を可哀相だと思った。
少しかがんで捕まえようとした。
「触んな」
赤星を制したのは新庄だった。
ただでさえ体は熱い。
新庄につかまれた腕の熱に頭がどうにかなりそうだった。
それでも拒むことは出来なかった、むしろ感じていたかった。
この瞬間、その熱だけが赤星の世界だった。
「好きだ」
赤星の声がじっとりとした空気の中に放たれたのとほぼ同時に、蝉がじじじと音を立てながら羽ばたいた。
「あ、」
思わず目で追った。
まだ死んじゃいなかったんだ。
新庄はそれを知っていたのかもしれない。
そういう不思議な力を持っているんじゃないかと思った。
金髪の少年は夏の太陽さえ霞んでしまうほどにきらきらとしていたから。
触れ合っていた部分が離された。
さっきの声はちゃんと届いたのだろうか、それともまた無に返されてしまったのだろうか。
また言うべきなのだろうか。
今日だけで一体何度同じようなことに頭を悩ませただろう。
だけどきっと伝えなきゃいけない。
もう後戻りなんて出来ないことは分かりきっているんだから。
新庄慶に出会ってしまったのだから。
本当の夏を知ってしまったのだから。
マネージャー→新庄慶が好きです